京都府山岳連盟 自然保護委員会
◆日時 平成29年6月18日(日)10:00 ~13:40
◆参加者 委員9名
◆講師 自然保護指導員 伊佐登
◆行程
10:00国際会館前10:10=(バス)=10:24岩倉村松-10:30大開10:36-10:40風の岩-10:56火薬庫-11:10わく星学校-11:26坂原-11:49環境科学総合研究所(昼食)12:43-12:59クリンソウの谷13:03-13:23板原(解散)13:40-13:52村松バス停14:02=(バス)=14:16国際開館前
◆写真 萩原孝一
◆文 増尾 翼
参加者9人、地下鉄国際会館を出て、バスに乗って15分で終点の岩倉村松に着いた。岩倉は京都市中心部からやや離れた東北部にあり、北方は、蓑ノ裏ヶ岳(432.6)と瓢箪崩山(532.4)。さらに奥は若丹山地があり、南方は松ヶ崎丘陵(宝ヶ池周辺の丘陵地)がありこれらに囲まれた盆地である。講師から貰った昭和35年の地図(5万分の一)と平成18年の地図(2万5千分の一)を比較すると。岩倉盆地は急速な開発が進み住宅地になっている。それでも市街化調整区域になっている北部は農地が残っている。
バスを降りた村松町は住宅地だが、すぐ北にはオタマジャクシが一杯いる水田があった。大開地区南端には水田が貸し農園になったり、休耕田になったりしている。休耕田には繁殖力がつよいアップルミントなどが繁茂して水田に植わっていたものがなくなっている。農作物は弱いことが分かる。
休耕田を見下ろすと、ヒメジオンの白い花。鮮やかな花はノアザミ。ミョウガ、カイユ、ギガンリュウム、ヒルザキツキミソウなどが見られた。車道のガードの下に「風の岩」の石柱がある。道路工事でここにあった岩を撤去したそうだ。
アベマキの並木は竹を渡して稲を干す稲木として使った。ウワズミザクラ、葉脈がはっきりしたクヌギがあった。
講師の説明では、御所は賀茂川から水を取っていたため、昔は土葬だったこともあり、墓の水が賀茂川に流れないようにしていた。静原の板原峠に墓があるのはこのため。雲ケ畑は賀茂川の上流のため、死人がでると遺体は「持越峠」を越して運ばれ、隣の真弓集落で埋葬したという。田植えのすんだ水田を守る電気防鹿柵で囲まれた農道を歩く。黄色い花のニガナ、イワナシは元気がない。
水量豊かな岩倉川を渡ると、大きな木の下に石のお地蔵が祀られていた。白いクリの花。この辺りの野菜の菜園は深泥池付近から移って来たプロの農家のもので、シソ、野菜、ビニールハウスの中でソバを作っている。この辺り昔はシカ害がなかったが、イノシイは出たそうだ。
車ヶ谷の橋を渡ると。火薬庫があった。有刺鉄線の塀のなかに土手があり火薬庫はその中にあるようだが外からは見えない。土で防御しようとしているのか。その土手に生えている花はクララ。クララはマメ科、根を噛むとクラクラするほど苦いことから、眩草(くららぐさ)と呼ばれ、これが転じてクララと呼ばれるようになったといわれる。またススキが多いのは草刈をしている証。道端にニガイチゴが赤い実をつけている。食べると甘い。

叡電・京都精華大学前で降りて5分ほど歩くと更雀寺(きょうじゃくじ)である。
メキシコ原産のパツラマツという葉がやや長いマツなど見ながら京大上賀茂試験地に着いた。鍵で扉を開けて中に入って、ここに集まって委員長の挨拶があり、役員の紹介と注意事項の伝達があった。講師の話しが始まった。カエデは新分類体系(APG体系)ではムクロジ科になる。カエデの名前の由来はカエルの手に似ていることから、カエルテ カエデとなった。カエデとモミジは植物分類上の種類を区別する言葉ではなく、紅葉する木の代表としてカエデ属がモミジと呼ばれている。配布された「カエデ属のなかまの葉」には色と形で名前が分かるようになっている。とくに日本には固有種が多い。植物の名前は学術的名称として使う場合はカタカナ表記する。
その先で奇妙な気根と呼ばれる呼吸根をニョキニョキ出しているのは、「ラクウショウ(落羽松)」。スギ科ヌマスギ属の落葉針葉樹。ラクウショウとメタセコイヤは良く似た高木だが、ラクウショウはスギの仲間なので、葉は線形で葉は互生している。メタセコイヤは対生。大きな葉が落ちているのは「トチュウ(杜仲)」。・・・・・・・・・